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歴史のページをめくろう

頑張るアイドルがだいすき

わたしのジャニヲタ史

突然だが、わたしがジャニヲタになってからの歴史を振り返ってみようと思う。


わたしが一番古いものでジャニーズと関わったのはたぶん修二と彰青春アミーゴだ。「野ブタをプロデュース」を何故か見ていたわたしはこの二人にハマってMステを録画しては何度も何度も見ていた。今思えばジャニーズに興味があったわけでもないのにあそこまでリピしていたのはすごいし、踊りも完璧なので、青春アミーゴの威力はすごい。修二と彰の後ろでセンターでメキメキと踊っていた中島裕翔くんの顔は印象に残り、のちHey! Say! JUMPとしてデビューする時にこの少年の顔を再び目にすることとなる。


その後の記憶としてはタキツバのVenusとHo!サマーだ。この二曲も何故か録画し、ずっと見ていた記憶がある。だからこちらも振りは完璧だ。


そしてその後KAT-TUNがデビューする。小学校4年生だったわたしは赤西さんに惚れた。Real Faithも録画したものを何度も見たし、その次のSIGNALも何度も見た。車の中では今や懐かしのMDにKAT-TUNの曲を入れてメンバーの声を判別できるくらいまでのファンになっていた。

その後、なんと一番好きだった赤西さんが渡米してしまう。わたしはこの時「ジャニーさんが本当は亀梨を一番人気にしたかったのに赤西が一番人気になっちゃったから赤西をアメリカに追い出したんだ!ジャニーさん最低!」と同じく赤西好きの友だちとジャニーの悪口を言いまくっていた。ごめんなジャニー…。
5人で出されたシングルにはあまり興味が持てず、小学校4年のわたしは待つということができず、事実上ここで担降りをしたのだと思う。ちょうどこの時学校ではプロフィール帳が流行っていて、今まで好きな有名人の欄に赤西仁とかいていたのにいなくなってしまって、誰を書けばよいのかわからず結局二番目に好きだった田中聖を「田中聖?」というようにはてなつきで書くようになっていた。
しかしすごく田中聖が好きだったというわけではない。

ここからはKAT-TUNの記憶はない、と言おうとしたがわたしは有閑倶楽部を見ていたことを思い出した。keep the faithは一番なら歌える。もしかしたらここまでKAT-TUNのファンだったのかと思ったがこのシングル発売は2007年11月となっていた、この時わたしは既に嵐ファンをやっていたのでKAT-TUNのファンであったわけではなくただ有閑倶楽部を見ていただけであろう。


もう一人記憶にあるジャニーズは山下智久ことぴーやまだ。小学校4年生の時クラブ活動でダンスクラブに所属していたわたしは文化祭のようなものでぴーやまの「抱いてセニョリータ」を踊ったことがある。この発表のため今まで着たことがなかった黒い洋服を着て、「抱いて抱いて抱いてセニョリータ」と踊っていた。


さて、話を戻して、好きな芸能人:田中聖?の時代に戻る。完全にはてな状態でしっかりとした好きな芸能人がいなかった曖昧なわたしに王子様が現れる。

わたしが小学校4年生、2007年2月のことだ。わたしはテレビの前のソファでテレビに結構近い距離で何気なくMステを見ていた。見ていた場所まで覚えている。「嵐」というグループがLove so sweetを歌っていた。そう、わたしはLove so sweetを歌う櫻井翔に一目惚れしたのだ。一目惚れした時のことはよく覚えていて、櫻井翔がテレビに映ると「かっこいい!この人、かっこいい!」と言っていた。一瞬だった。わたしはこの一瞬で櫻井翔という人物に堕ちてしまったのである。ちなみに当時は「金髪が一番きらい」と言っていた。ごめん、相葉さん今は好きだよ。


ちょうど花より男子2が世間ではブームになっていて学校の女子の間では「道明寺派?花沢類派?」と言う会話がよく行われていた。しかしわたしはイジメシーンが多く、10時からのドラマは子どもが見るものじゃない!という母親から花男禁止令が出ていたため見れず、そんな話題にはついていけなかった。(でも影で少し見ていた)


バンビーノは特に興味がなかったため(ごめん潤)見ていなかったが、we can make it!はテレビでも見たし、はじめて歌えるようになったRAPはこの曲のRAPだ。
その後の山田太郎ものがたりは1話から見ていた!しかし山田太郎ものがたり放送当時、世間では花ざかりの君たちへことイケパラが流行っていて学校でも話題はイケパラに。そんな中わたしは山田太郎ものがたりを推していた。


ここですごいことが起こる。凱旋記念として行われた嵐単独初の東京ドームコンサートに参戦し、松本潤に堕ちて帰ってきた叔母から「嵐のコンサートに行かないか」という誘いがきた。わたしは参戦することにし、初のコンサートに出向いた。これがDVDにも収録されているTimeの追加最終ドーム公演だ。白いノースリーブのキラキラしたセーターにメゾピアノのピンクのスカートを履いて、うちわとカバンとペンライトを購入し、わたしははじめてコンサートに参戦した。当時は今ほど子どものお客さんが少なく、少し恥ずかしかった。隣のおばさまが「じゅんくううううーーーん!!!♡」と叫んでいるのを見てすごいなあと思っていた。数年後自分も叫ぶようになるとは知らずに。


ここで事件が起こる。1つ目は曲が全然わからなかったことだ。コンサートというものを勘違いしてTime通常しか聴いていかなかったわたしはその収録曲以外はほとんどわからなくて、デビュー曲もあまり知らなかったし、きっと大丈夫を聴いたことがあるような、、というくらいで、オープニングもエンディングも知らない曲で戸惑った。
2つ目はすごい。わたしはなんとコンサート中に鼻血を出した。それはMJウォークの最中だった。いきなり大量の鼻血が出てきたわたしはその場で一生懸命抑えたがなかなか止まらず、ついに叔母(J担)にトイレに連れて行ってもらう。そこで一度止まったと思ったのでもう一度席についたがまた鼻血が出てきてしまう!!もういやだ!!そこでわたしはまたもや叔母に連れられ保健室へ行った。コンサートではちょうどCry for you冒頭のロミオとジュリエットパートが歌われていた…。保健室でやっと鼻血を治して席に戻った時にはなんの曲だったか覚えていないが、もうピカダブ辺りの終盤だったのでないかと思う。


そんなこんなでわたしの初コンサートは大波乱で幕を閉じた。それでも初めて嵐を目にした時には「嵐って本当に存在するんだ…!」と思ったし、あの時の感動はもう一生味わえないし、一生忘れないと思う。


そこからわたしはズボズボと嵐ファンになっていく。初めて自分でCDを買い(Step and go)TimeのDVDも購入した。わからなかった曲もたくさん勉強して、全部の曲を覚えた。コンサートにも毎回参戦して、すごく楽しい嵐ファンの人生を送っていた。

(また、どこから好きになったのかわからないが、そこから半年くらい、Hey! Say! JUMPの山田が好きだった。しかし覚めたきっかけすら忘れてしまった。)

2008年夏辺りだろうか、叔母がわたしをファンクラブに入れてくれた。お陰でわたしの会員証は今のシルバーのものではなく、黄色の旧型だ。5✕10では初めての遠征をした。当時中学1年生でわたしはバレーボール部に所属していた。バレーボールは大会でのユニフォームは12番までしかないため部員が多かった私たちの代は、ユニフォームをもらえるように日々努力していた。中でもユニフォームをもらえる1年生は少なかったがわたしは見事ユニフォームをもらうことができた。初めてだった。しかしこの大会の日こそが初の遠征名古屋ドーム公演と丸かぶりだったのである。わたしはもちろん大会を欠席し名古屋へ向かったのである。これも叔母に連れて行ってもらったものだ。ここで初めてゲットした銀テープは今でも大切に保管してある。


2010年夏、君と僕の見ている風景の国立ライブがあった。わたしはこのコンサートでいわゆる神席を体験した。アリーナの通路側、花道から見ると最前という神席だ。人力のトロッコは手と手を伸ばせば触れるくらい近かったし、花道を歩いているときも目が合うくらいの近さだった。あれから何年か経ったがまだあれ以上の席は体験したことがない。


2011年、初めてコンサートに外れた。驚いた。叔母達は札幌に遠征をしていたが、中学3年生受験生だったわたしは行くことができず、国立公演の日も一番大切なテストの勉強をしながら泣いていた。だから台風で延期になったときはざまあみろと思っていた。最低だwwわたしは自分が行けなくなるととことん反抗する癖がある(今もw)


2012年はアラフェスには落選したものの、Popcornに当選し、順調に嵐ファンを満喫していた。
次の2013年、今までいわゆる相方(リア)と叔母とくらいしか嵐ファンとしての交流がなかったが、2013年初めてそれ以外の嵐ファンの友人達ができた。Twitterも初めて、たくさんのお友達ができた。ここからわたしの嵐ファン生活は大きく変わったのである。ワクワク学校で今までネット上でしか絡んでいなかった人たちと実際に会って、仲良くなって、その後もアラフェス2013に当選し、会場に早く行って友人と遊んでからコンサートに行く。コンサートに行くことで2度の楽しみがある!と知った年だった。またこの年のアラフェスは最後の国立公演であり、わたしは運良くオーラスに入ることができた。わたしは6年間の国立のコンサートのうち4年参戦していることになったため、個人的に国立に対する思い出も多く、最後に聖火に向かってお礼をした時にわたしとしても国立とお別れをした。わたしはこの国立のコンサートが大好きだった。始まる前の風、夕日、花火、聖火、国立でしかできない表現できない演出が大好きだった。だからちゃんと次の国立もいいもの作ってね(話が逸れまくり)


LOVEでは初めて札幌まで足を運んだ。嵐ファンだらけ、ましてや友人が何人か乗っている飛行機に乗ってひとっ飛びしてそれはそれは楽しかった。2日間の参戦だったため1日終わってもまた明日もコンサートというこの上ない幸せを味わうことができた。今年も札幌、行きたい。


この後わたしのただの嵐ファン生活に革命が起こることになる。


2014年1月からわたしの家はやっとBSが入るようになった。そこでわたしはただの好奇心でザ・少年倶楽部を録画して、バイト終わりご飯を食べながら何気なく見ていたのである。その影響かわたしは何故かSexy Zoneが出演したMステを録画していた。sexyマジックで焦らしちゃいなヨ!メドレーだった。そのメドレーがとても良くて、わたしはリアルタイムで見たあとも何度も再生ボタンを押していた。わたしはおそらくそこからSexy Zoneに興味を持った。某動画サイトでSexy Zoneの曲を調べ始めた。たぶんもうこの時には堕ちていたのだと思う。ぶつかっちゃうよとCANDYを初めて聴いた時の衝撃は忘れない。どこで中島健人くんに堕ちたのかはわからないが、以前から健人くんが一番好きだったのでその流れではまっていったのか、謎である。ちょうどその時嵐はハワイライブを発表、受験生であり、高校生であるわたしは行けるはずがなかった。わたしは嵐反抗期に陥った。ここで注意したいのは冷め期ではなく反抗期であるということだ。その衝動からわたしはKing&Queen&Jokerを予約する。初めてSexy Zoneに貢いだ。そしてわたしはSexy Zoneのファン、通称Sexy Girl(セクガル)へとなっていくのだ。

その後もCDは買い続けていたがファンクラブに入会したのは2015年3月だ。わたしはちょうどその時受験生で、それまでセクゾのファンクラブに入会することと現場に赴くことは我慢していた。また、一時的な感情で好きだと思っている可能性もあると思い、1年間健人くんのことをずっと好きでい続けられたら入ろうという自分への確認のためでもあった。予想通り健人くんへの気持ちは全く冷めず、むしろ加速していってばかりだったため3月、セクゾがツアーを発表した時まだ受験は終わっていなかったが大慌てで入会した。無事間に合ってせくパワ横アリに参戦することができた。初めて見た健人くんはとにかくキラッキラしていてこんなにもキラッキラな人がこの世にいるのかと思った。健人くんに関しては肉眼で見るまで絶対にこの世の人間だと信じないと言っていたわたしだか、肉眼で見てもこの世の人間だとは思えなかった。今でも他の星から来た王子様なのだと思っている。


ちょうどSexy Zoneを好きになる同時期、いや少し前かもしれない。わたしはもう一人の少年に堕ちた。中村嶺亜くんだ。ザ・少年倶楽部を見ていた時のことだ。MCのようなある企画に参加した嶺亜ちゃん(普段はちゃん付けしている)は三番目に自己紹介をした。二番目であった神宮寺勇太くんは「どうもーレオナルドディカプリオでぇ〜す」というボケをかまし、会場はどっと笑いに包まれた。まだ会場の笑いが残り司会のツッコミが十分に終わっていない時嶺亜ちゃんは「じゃあ次行っていいですかぁ〜?」と言った。完全に空気を読めていなかった。わたしはこの姿に衝撃を受けた。「なんだこの子は大物か…?」そして嶺亜ちゃんは「れいあでぇ〜す」と自己紹介をし、顔の近くで手をシャラシャラとした。わかりにくい表現であるがとにかく相当ぶりっ子だったのだ。わたしはこよぶりっ子にさらに衝撃を受け、「この大物ぶりっ子のことをもっと知りたい!」と思うようになった。知れば知るほど嶺亜ちゃんのアイドルとしての才能に惹かれ、今に至る。

嶺亜ちゃんに初めて会ったのもセクパワ横アリのことだった。席は真ん中くらいだったのだけどライトの当たっていないジュニアの顔はなかなか見えなくて必死に嶺亜ちゃんを探した。見つけても見つけてもすぐどっか走って行ってしまうしやっと安定して嶺亜ちゃんを見ることができたのはしょりたんの「好きだよ」の時だった。しょりたんとセクファミのジュニア達はセンターステージで踊っていたが嶺亜ちゃんはセンターステージからメインステージにかけての通路で踊っていた。スポットライトは当たっていなかった。しかし嶺亜ちゃんはそんなこと感じさせないくらいすごかった。圧倒的かわいさである。どの瞬間もかわいくて最強ぶりっ子。わたしは嶺亜ちゃんに釘付けで、嶺亜ちゃんしか見えなかった。少クラで後日やってくれた「好きだよ」を見てもらえばわかると思うがあれの何倍も可愛かった…。生はすごい…。

そしてこの前去年諦めたガムシャラに参戦した。わたしは今まで嶺亜ちゃんは天使だから他の子とはまた違う、惚れているというより推しているの方が近い、と言っていた。しかしガムシャラでわたしは嶺亜ちゃんからもう何度目かわからない衝撃を受ける。「かっこいい」。7〜8列目につけたわたしはなかなか近い距離で見た。そこでわたしは嶺亜ちゃんのお顔を「かっこいい」と思ってしまったのだ。これまでも何度かかっこいいと思ったことはあった、しかしそれは中村嶺亜全体としての話で顔の話ではない。嶺亜ちゃんのお顔があんなにかっこいいなんて聞いてない。白い。美しすぎる。鼻がきれいすぎる。ここでわたしは初めて嶺亜ちゃんのことを男性として意識した。とは言え、かわいい嶺亜ちゃんも健在でもうわたしはすっかり虜だ。


そうしてわたしの担当は櫻井翔オンリーから櫻井翔中島健人中村嶺亜の三人となったが変わらず櫻井くんのことは好きだったし、少し時期は戻るが、受験生だったから遠征はするつもりなかったけど2014年冬のデジタリアンにも応募した。でも、持ってる名義、友達、親戚の名義全てを東京で申し込んだのに結構な数あったのに外れた。もちろん当落の日も勉強していて、国語の得意な母に古典を教えてもらっている最中だった。自分が行けないとわかった時、これほどかと思うほど泣いた。泣きすぎて勉強が進まなかった。受験生でただでさえ切羽詰まってつらいんだから数時間くらいコンサート行かせてくれてもいいじゃんって、なんでこんなにいじわるなのってつらいのにさらにつらいの重ねないでよって声が出なくなるほど泣いた。ジャニーズ関係であんなに泣くことそうそうないなと思う。嵐に会えないってこんなにつらいんだって、あの時のつらさは決して忘れない。


掛け持ちになって、嵐で満たされない部分はSexy Zoneが、ジュニアが埋めてくれるだろうと思っていた。でも違った。嵐への気持ちは嵐でしか埋められないし、Sexy Zoneへの気持ちはSexy Zoneでしか埋められない。掛け持ちになったからって一方への気持ちが軽くなるなんてことは全くなかった。だからSexy Zoneについての新しいことをどんどん知っていっても、ジュニアの名前をどんどん覚えていっても櫻井くんに会いたい気持ちは全く消えなくてつらかった。掛け持ちになるということはわたしにとっては100が50、50になるのではなくて100が増える、つまり100、100になるということなんだなと知った。



こんなふうに掛け持ちになったわたしだが、健人くん、嶺亜ちゃんに堕ちる直前にわたしは嵐担の友人と「掛け持ちって全然理解はできるんだけどわたしは絶対にならないと思う」という話をしていた。その決意虚しく直後に二人に堕ちる。笑うしかない。ジャニーズは何があるかわからない。担当は三人でとどまってはいるものの担当ではないけど好きな人が増えていき、必然的に現場数が増えていきつつある。去年までは平均して年に3回くらいだったと思うが今年は既に参戦済みのもの、参戦はまだだかチケット確保済みのものを入れて16回もの現場が決定している。さらに現在は少年たち、えび座の当落待ち、嵐のツアーも入ってくる。恐ろしい。去年までの自分からは考えられない。もう1ヶ月に1現場はないと耐えられない体になってしまった気がする。そんな今は今までのジャニヲタ人生の中で最も楽しい。いろんな人から幸せがもらえて本当にジャニーズには感謝している。そんなことを感じながらまた今日も振込用紙を書く。