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頑張るアイドルがだいすき

Love Ken TVに行ってきた


Summer Paradise Love Ken TVこと中島健人くんソロコンサートに行ってきた。


ソロコンサートというものに行くのは初めてで緊張して行きの電車でお腹が痛くなった。コンサート前にお腹が痛くなるのは初めてだった。会場入りし、席についてからもお腹は痛くて、更に手までかすかに震えてきてしまって、なんでわたしあんなに緊張していたのだろう自分が出演者なわけでもないのに(笑)緊張しすぎて何度も何度もTwitterのTLを更新するという無駄作業をして心を落ち着かせようとした。


健人くんはジュニアマンションの最上階に現れた。眩しすぎる。健人くんはどの曲を歌っていてもずっと眩しかった。存在自体がキラキラしていて宝石みたいで、まるでわたしが宝箱の中に入ったような、そんな気がした。


わたしは健人くんの歌声が世界一好きだ。ものすごく美声ではなくても甘くて優しくて一生懸命で時折キュンとしてしまうような、そんな声。だからどの曲のどの部分も健人くんの歌声で聴くことができてとても嬉しかった。健人くんは曲に入り込むのがとてもうまいから歌声と一緒に表情も素敵で。視覚聴覚から大好きな健人くんだけを感じることができてなんだか幸せで何度も涙が出そうになった。Star Timeを歌う前、健人くんは自分のジュニアの時の話を少ししてくれた。目立ちたがりやで山田くんの後ろから少しずれてテレビに映ろうとしていたことや、とにかくデビューがしたかったこと、わたしは健人くんのジュニア時代をよく知らないがそんな後ろで頑張っていた健人くんが今こうしてソロでコンサートをして立っている。ジュニアの健人くんに伝えたいと思った、今この瞬間あなたはこんなにも輝いているよと。


健人くんのチラリズムはこれはもうものすごい破壊力だった。あんなにいつもキラキラしている王子様が「だからもうちょっと下心出して♡」と超ぶりっこな振り付きで歌っているのだ。「本能と煩悩は我慢できない〜♡」で股間を抑えながらこの世で一番かわいい顔をして歌う健人くんはもう尊すぎてなんかもう死んでもいいとさえ思った。かわいすぎた。本当に本当にかわいすぎた。わたしが死ぬ時はこのチラリズムの映像を見てから死にたいと思ったし、この映像と一緒に埋めてくれとまでも思う。だからぜひ映像化してほしい。もし映像化しなかったならばジャニーズ事務所の前で「チラリズム映像化希望デモ」を起こしたいくらいだ。それくらいかわいかった。


MCは1人でやっていたため本当にデートのようだった。いつものツッコんでくれる人や一緒にふざけてくれる人がいないからひたすら健人くんが話してこちらが反応してという繰り返しだった。健人くんがなにかトンチキなことを言ってもツッコまれることなく、ファンは、いや間違えた、彼女たちはすぐに「かわいい〜♡♡」と言うから健人くん自身も少し戸惑っているように見えた。歯を食いしばって「シ〜~〜////♡」と照れる健人くん。それすらもかわいくて愛おしくて仕方なかった。だって、水を飲んでいるだけでかわいいと言われるなんて本人も想定していなかったでしょ?


チラリズムの他にもう一つすごく好きな曲があった。Sexy Zoneのレディースパイシーだ。この曲は発売時から人気が高く、コンサートでの披露を期待されていたが歌われず悔しがるヲタ達を知っていたのかのように披露された。前の曲がスタンドマイクだったのでレディースパイシーの冒頭「目と目が合うたび絡まって〜」の辺りはスタンドマイクに手をかぶせるようなカタチで歌っていた。わたしはこの歌い方が非常に好きで興奮した。どこかいやらしくて好きだ。スタンドマイクを片付けた後は、踊りがあった。ここも最高だった。セクシーで健人くんの長い足を大いに利用していると思った。踊っている最中健人くんの足が長すぎてびっくりした。これもぜひ映像化してほしい。


ふうまくんにはなかったが健人くんにはSexy Zoneのシングルメドレーがあった。Sexy Zoneの曲を歌わず、最後の最後にSexy Zoneぶっこんでくるふうまくんと対照的にメドレーを入れてくる健人くん。どこまでシンメなんだ。二人の違う形でのSexy Zoneの愛し方に勝手に感動してしまう。このメドレー以外はみんなの彼氏中島健人だったが唯一このメドレーではSexy Zone中島健人になる、健人くんもわたしたちもだいすきなSexy Zone。今でも問題山積みなSexy Zoneだけど健人くんはSexy Zoneを誰よりも良くしようとしている、Sexy Zoneという名を広めようとしている。健人くんなりのSexy Zoneの愛し方守り方を見たような気がした。


最後の曲、ディアハイヒールの前にスクリーンには健人くんの小さい時の写真から今に至るまでの写真が映し出された。こうして普通の男の子だった少年がジャニーズになり今この場所に立っているんだな。と思うとまた涙が出てきそうになった。それが終わると健人くんが登場の時と同じように薔薇のブーケをもって立っていた。かっこ良すぎるよ。「僕がこんなに頑張れるのはみなさんの笑顔が大好きだから。その笑顔が見たいから。」と言った挨拶をした健人くんは最後に「もう、離さない。」と言ってピアノを弾き始める。離れるわけない、健人くんがこんなにも素敵な人なのに離れるわけないよ。強い眼差しで言った健人くんはちょっと触ったら壊れてしまいそうで、泣いてしまいそうで、いつも健人くんの背中は、心は大きく見えていたはずなのにこの時はやけに小さく見えて、「大丈夫だよ」って言ってあげたくなった。実際オーラスでは泣いてしまったところだ。わたしが健人くんを支える、ずっと好きでいる。そう思った人はたくさんいると思う。一番をピアノで弾いた後二番はブーケを持ってピアノに寄りかかるように歌った。もう本当に健人くんかっこいい。


本編が終わりはけていった健人くんに健人コールが起った。わたしは健人くんを神のようなわたしとは違う身分にいる王子様だと思っているから健人と呼び捨てにすることができず、いつも健人くんと呼んでいる。そのため慣れない健人呼びで健人っ健人っというコールにノるのは難しかったが頑張って呼んでいると健人くんは出てきてくれた。白いフードをかぶって健人くんは新曲を披露してくれた。今までのラブソングの中でも盛大なForever L。ピリオドのない愛、健人くんの目指す永遠の愛がテーマになっていた。健人くんの言葉選びはいつもキレイで、「涙を虹にしよう」なんていうのは健人くんらしい。涙という悲しいものも健人くんの手にかかれば虹という素敵なものになれる。健人くん、すごい。


健人くんは今回のソロコンのことを一度もコンサートと言わなかった。最初から最後までずっと「デート」だと貫き通す。わたしもデートのつもりで今できる精一杯のオシャレをして化粧をして髪の毛を巻いてTDCに行った。最後、健人くんは「この後、みんなの家に行くね♡またね♡」と言って、階段を両足でジャンプして軽快にはけていった。まるで今日のデートがうまくいってルンルンしながら帰っていく彼氏かのように。実際に内容もそのデートと言う名に全く恥じないようなものだった。健人くんがステージに立っている時、いつでもそこは愛で溢れていた。健人くんから発せられるわたしたちへの愛と、発せられる健人くんへの愛。2つの愛がTDCいっぱいに広がって甘くているだけで幸せな気分になれる。ラブホリマジック。健人くんは単に甘い言葉を連発するラブホリ王子様ではない、新しい愛の形を生み出すことができるみんなのかつわたしだけの王子様だ。よくテレビなどメディアでは健人くんのことを王道ジャニーズだというが、この王道をここまで貫ける人はなかなかいない。王道といいつつでは健人くんのような人がジャニーズに他にいるかと言ったらいない。(本人も言っていたようだが手越は健人くんとは少し違うような気がする。)


健人くんの愛を生み出す力、何事も全力で楽しめる力、抜群の表現力、健人くんにしか作り出せない世界観、すべてがいっぱいに詰まったものこそがLove Ken TVだ。ポニキャお願い、なんでもするからどんな売り方でもいいから映像化してくれ。健人くんとの最高のデートをこの後ファンになった人、行くことができなかった人にも体験させてあげてくれ。
もうわたしはこのデートより素敵なデートがこれから先できるわけないと思うし、望んでもいない。誰がなんと言おうとこれはデートであり、間違いなくわたしの人生で一番のデートである。わたしは今まで、なんでもっと早くSexy Zoneのファンになっていなかったのだろうと何度も後悔した。しかしソロコンの前にファンになれたことは本当によかったと思う。櫻井翔のソロコンはファンになる前で、行けていないのでなおさら思う。


健人くん本当に最高の時間をありがとう。全6公演お疲れさま。無事に終わった時に出た涙はまさにイルミネーションのようにキラキラしていて世界一美しい涙だと思う。健人くんは誰がなんと言おうと世界一の担当だ。今すぐそこら辺を歩いている人に中島健人という天才について自慢して歩きたい。だいすき。だいすき。だーいすき!

わたしのジャニヲタ史

突然だが、わたしがジャニヲタになってからの歴史を振り返ってみようと思う。


わたしが一番古いものでジャニーズと関わったのはたぶん修二と彰青春アミーゴだ。「野ブタをプロデュース」を何故か見ていたわたしはこの二人にハマってMステを録画しては何度も何度も見ていた。今思えばジャニーズに興味があったわけでもないのにあそこまでリピしていたのはすごいし、踊りも完璧なので、青春アミーゴの威力はすごい。修二と彰の後ろでセンターでメキメキと踊っていた中島裕翔くんの顔は印象に残り、のちHey! Say! JUMPとしてデビューする時にこの少年の顔を再び目にすることとなる。


その後の記憶としてはタキツバのVenusとHo!サマーだ。この二曲も何故か録画し、ずっと見ていた記憶がある。だからこちらも振りは完璧だ。


そしてその後KAT-TUNがデビューする。小学校4年生だったわたしは赤西さんに惚れた。Real Faithも録画したものを何度も見たし、その次のSIGNALも何度も見た。車の中では今や懐かしのMDにKAT-TUNの曲を入れてメンバーの声を判別できるくらいまでのファンになっていた。

その後、なんと一番好きだった赤西さんが渡米してしまう。わたしはこの時「ジャニーさんが本当は亀梨を一番人気にしたかったのに赤西が一番人気になっちゃったから赤西をアメリカに追い出したんだ!ジャニーさん最低!」と同じく赤西好きの友だちとジャニーの悪口を言いまくっていた。ごめんなジャニー…。
5人で出されたシングルにはあまり興味が持てず、小学校4年のわたしは待つということができず、事実上ここで担降りをしたのだと思う。ちょうどこの時学校ではプロフィール帳が流行っていて、今まで好きな有名人の欄に赤西仁とかいていたのにいなくなってしまって、誰を書けばよいのかわからず結局二番目に好きだった田中聖を「田中聖?」というようにはてなつきで書くようになっていた。
しかしすごく田中聖が好きだったというわけではない。

ここからはKAT-TUNの記憶はない、と言おうとしたがわたしは有閑倶楽部を見ていたことを思い出した。keep the faithは一番なら歌える。もしかしたらここまでKAT-TUNのファンだったのかと思ったがこのシングル発売は2007年11月となっていた、この時わたしは既に嵐ファンをやっていたのでKAT-TUNのファンであったわけではなくただ有閑倶楽部を見ていただけであろう。


もう一人記憶にあるジャニーズは山下智久ことぴーやまだ。小学校4年生の時クラブ活動でダンスクラブに所属していたわたしは文化祭のようなものでぴーやまの「抱いてセニョリータ」を踊ったことがある。この発表のため今まで着たことがなかった黒い洋服を着て、「抱いて抱いて抱いてセニョリータ」と踊っていた。


さて、話を戻して、好きな芸能人:田中聖?の時代に戻る。完全にはてな状態でしっかりとした好きな芸能人がいなかった曖昧なわたしに王子様が現れる。

わたしが小学校4年生、2007年2月のことだ。わたしはテレビの前のソファでテレビに結構近い距離で何気なくMステを見ていた。見ていた場所まで覚えている。「嵐」というグループがLove so sweetを歌っていた。そう、わたしはLove so sweetを歌う櫻井翔に一目惚れしたのだ。一目惚れした時のことはよく覚えていて、櫻井翔がテレビに映ると「かっこいい!この人、かっこいい!」と言っていた。一瞬だった。わたしはこの一瞬で櫻井翔という人物に堕ちてしまったのである。ちなみに当時は「金髪が一番きらい」と言っていた。ごめん、相葉さん今は好きだよ。


ちょうど花より男子2が世間ではブームになっていて学校の女子の間では「道明寺派?花沢類派?」と言う会話がよく行われていた。しかしわたしはイジメシーンが多く、10時からのドラマは子どもが見るものじゃない!という母親から花男禁止令が出ていたため見れず、そんな話題にはついていけなかった。(でも影で少し見ていた)


バンビーノは特に興味がなかったため(ごめん潤)見ていなかったが、we can make it!はテレビでも見たし、はじめて歌えるようになったRAPはこの曲のRAPだ。
その後の山田太郎ものがたりは1話から見ていた!しかし山田太郎ものがたり放送当時、世間では花ざかりの君たちへことイケパラが流行っていて学校でも話題はイケパラに。そんな中わたしは山田太郎ものがたりを推していた。


ここですごいことが起こる。凱旋記念として行われた嵐単独初の東京ドームコンサートに参戦し、松本潤に堕ちて帰ってきた叔母から「嵐のコンサートに行かないか」という誘いがきた。わたしは参戦することにし、初のコンサートに出向いた。これがDVDにも収録されているTimeの追加最終ドーム公演だ。白いノースリーブのキラキラしたセーターにメゾピアノのピンクのスカートを履いて、うちわとカバンとペンライトを購入し、わたしははじめてコンサートに参戦した。当時は今ほど子どものお客さんが少なく、少し恥ずかしかった。隣のおばさまが「じゅんくううううーーーん!!!♡」と叫んでいるのを見てすごいなあと思っていた。数年後自分も叫ぶようになるとは知らずに。


ここで事件が起こる。1つ目は曲が全然わからなかったことだ。コンサートというものを勘違いしてTime通常しか聴いていかなかったわたしはその収録曲以外はほとんどわからなくて、デビュー曲もあまり知らなかったし、きっと大丈夫を聴いたことがあるような、、というくらいで、オープニングもエンディングも知らない曲で戸惑った。
2つ目はすごい。わたしはなんとコンサート中に鼻血を出した。それはMJウォークの最中だった。いきなり大量の鼻血が出てきたわたしはその場で一生懸命抑えたがなかなか止まらず、ついに叔母(J担)にトイレに連れて行ってもらう。そこで一度止まったと思ったのでもう一度席についたがまた鼻血が出てきてしまう!!もういやだ!!そこでわたしはまたもや叔母に連れられ保健室へ行った。コンサートではちょうどCry for you冒頭のロミオとジュリエットパートが歌われていた…。保健室でやっと鼻血を治して席に戻った時にはなんの曲だったか覚えていないが、もうピカダブ辺りの終盤だったのでないかと思う。


そんなこんなでわたしの初コンサートは大波乱で幕を閉じた。それでも初めて嵐を目にした時には「嵐って本当に存在するんだ…!」と思ったし、あの時の感動はもう一生味わえないし、一生忘れないと思う。


そこからわたしはズボズボと嵐ファンになっていく。初めて自分でCDを買い(Step and go)TimeのDVDも購入した。わからなかった曲もたくさん勉強して、全部の曲を覚えた。コンサートにも毎回参戦して、すごく楽しい嵐ファンの人生を送っていた。

(また、どこから好きになったのかわからないが、そこから半年くらい、Hey! Say! JUMPの山田が好きだった。しかし覚めたきっかけすら忘れてしまった。)

2008年夏辺りだろうか、叔母がわたしをファンクラブに入れてくれた。お陰でわたしの会員証は今のシルバーのものではなく、黄色の旧型だ。5✕10では初めての遠征をした。当時中学1年生でわたしはバレーボール部に所属していた。バレーボールは大会でのユニフォームは12番までしかないため部員が多かった私たちの代は、ユニフォームをもらえるように日々努力していた。中でもユニフォームをもらえる1年生は少なかったがわたしは見事ユニフォームをもらうことができた。初めてだった。しかしこの大会の日こそが初の遠征名古屋ドーム公演と丸かぶりだったのである。わたしはもちろん大会を欠席し名古屋へ向かったのである。これも叔母に連れて行ってもらったものだ。ここで初めてゲットした銀テープは今でも大切に保管してある。


2010年夏、君と僕の見ている風景の国立ライブがあった。わたしはこのコンサートでいわゆる神席を体験した。アリーナの通路側、花道から見ると最前という神席だ。人力のトロッコは手と手を伸ばせば触れるくらい近かったし、花道を歩いているときも目が合うくらいの近さだった。あれから何年か経ったがまだあれ以上の席は体験したことがない。


2011年、初めてコンサートに外れた。驚いた。叔母達は札幌に遠征をしていたが、中学3年生受験生だったわたしは行くことができず、国立公演の日も一番大切なテストの勉強をしながら泣いていた。だから台風で延期になったときはざまあみろと思っていた。最低だwwわたしは自分が行けなくなるととことん反抗する癖がある(今もw)


2012年はアラフェスには落選したものの、Popcornに当選し、順調に嵐ファンを満喫していた。
次の2013年、今までいわゆる相方(リア)と叔母とくらいしか嵐ファンとしての交流がなかったが、2013年初めてそれ以外の嵐ファンの友人達ができた。Twitterも初めて、たくさんのお友達ができた。ここからわたしの嵐ファン生活は大きく変わったのである。ワクワク学校で今までネット上でしか絡んでいなかった人たちと実際に会って、仲良くなって、その後もアラフェス2013に当選し、会場に早く行って友人と遊んでからコンサートに行く。コンサートに行くことで2度の楽しみがある!と知った年だった。またこの年のアラフェスは最後の国立公演であり、わたしは運良くオーラスに入ることができた。わたしは6年間の国立のコンサートのうち4年参戦していることになったため、個人的に国立に対する思い出も多く、最後に聖火に向かってお礼をした時にわたしとしても国立とお別れをした。わたしはこの国立のコンサートが大好きだった。始まる前の風、夕日、花火、聖火、国立でしかできない表現できない演出が大好きだった。だからちゃんと次の国立もいいもの作ってね(話が逸れまくり)


LOVEでは初めて札幌まで足を運んだ。嵐ファンだらけ、ましてや友人が何人か乗っている飛行機に乗ってひとっ飛びしてそれはそれは楽しかった。2日間の参戦だったため1日終わってもまた明日もコンサートというこの上ない幸せを味わうことができた。今年も札幌、行きたい。


この後わたしのただの嵐ファン生活に革命が起こることになる。


2014年1月からわたしの家はやっとBSが入るようになった。そこでわたしはただの好奇心でザ・少年倶楽部を録画して、バイト終わりご飯を食べながら何気なく見ていたのである。その影響かわたしは何故かSexy Zoneが出演したMステを録画していた。sexyマジックで焦らしちゃいなヨ!メドレーだった。そのメドレーがとても良くて、わたしはリアルタイムで見たあとも何度も再生ボタンを押していた。わたしはおそらくそこからSexy Zoneに興味を持った。某動画サイトでSexy Zoneの曲を調べ始めた。たぶんもうこの時には堕ちていたのだと思う。ぶつかっちゃうよとCANDYを初めて聴いた時の衝撃は忘れない。どこで中島健人くんに堕ちたのかはわからないが、以前から健人くんが一番好きだったのでその流れではまっていったのか、謎である。ちょうどその時嵐はハワイライブを発表、受験生であり、高校生であるわたしは行けるはずがなかった。わたしは嵐反抗期に陥った。ここで注意したいのは冷め期ではなく反抗期であるということだ。その衝動からわたしはKing&Queen&Jokerを予約する。初めてSexy Zoneに貢いだ。そしてわたしはSexy Zoneのファン、通称Sexy Girl(セクガル)へとなっていくのだ。

その後もCDは買い続けていたがファンクラブに入会したのは2015年3月だ。わたしはちょうどその時受験生で、それまでセクゾのファンクラブに入会することと現場に赴くことは我慢していた。また、一時的な感情で好きだと思っている可能性もあると思い、1年間健人くんのことをずっと好きでい続けられたら入ろうという自分への確認のためでもあった。予想通り健人くんへの気持ちは全く冷めず、むしろ加速していってばかりだったため3月、セクゾがツアーを発表した時まだ受験は終わっていなかったが大慌てで入会した。無事間に合ってせくパワ横アリに参戦することができた。初めて見た健人くんはとにかくキラッキラしていてこんなにもキラッキラな人がこの世にいるのかと思った。健人くんに関しては肉眼で見るまで絶対にこの世の人間だと信じないと言っていたわたしだか、肉眼で見てもこの世の人間だとは思えなかった。今でも他の星から来た王子様なのだと思っている。


ちょうどSexy Zoneを好きになる同時期、いや少し前かもしれない。わたしはもう一人の少年に堕ちた。中村嶺亜くんだ。ザ・少年倶楽部を見ていた時のことだ。MCのようなある企画に参加した嶺亜ちゃん(普段はちゃん付けしている)は三番目に自己紹介をした。二番目であった神宮寺勇太くんは「どうもーレオナルドディカプリオでぇ〜す」というボケをかまし、会場はどっと笑いに包まれた。まだ会場の笑いが残り司会のツッコミが十分に終わっていない時嶺亜ちゃんは「じゃあ次行っていいですかぁ〜?」と言った。完全に空気を読めていなかった。わたしはこの姿に衝撃を受けた。「なんだこの子は大物か…?」そして嶺亜ちゃんは「れいあでぇ〜す」と自己紹介をし、顔の近くで手をシャラシャラとした。わかりにくい表現であるがとにかく相当ぶりっ子だったのだ。わたしはこよぶりっ子にさらに衝撃を受け、「この大物ぶりっ子のことをもっと知りたい!」と思うようになった。知れば知るほど嶺亜ちゃんのアイドルとしての才能に惹かれ、今に至る。

嶺亜ちゃんに初めて会ったのもセクパワ横アリのことだった。席は真ん中くらいだったのだけどライトの当たっていないジュニアの顔はなかなか見えなくて必死に嶺亜ちゃんを探した。見つけても見つけてもすぐどっか走って行ってしまうしやっと安定して嶺亜ちゃんを見ることができたのはしょりたんの「好きだよ」の時だった。しょりたんとセクファミのジュニア達はセンターステージで踊っていたが嶺亜ちゃんはセンターステージからメインステージにかけての通路で踊っていた。スポットライトは当たっていなかった。しかし嶺亜ちゃんはそんなこと感じさせないくらいすごかった。圧倒的かわいさである。どの瞬間もかわいくて最強ぶりっ子。わたしは嶺亜ちゃんに釘付けで、嶺亜ちゃんしか見えなかった。少クラで後日やってくれた「好きだよ」を見てもらえばわかると思うがあれの何倍も可愛かった…。生はすごい…。

そしてこの前去年諦めたガムシャラに参戦した。わたしは今まで嶺亜ちゃんは天使だから他の子とはまた違う、惚れているというより推しているの方が近い、と言っていた。しかしガムシャラでわたしは嶺亜ちゃんからもう何度目かわからない衝撃を受ける。「かっこいい」。7〜8列目につけたわたしはなかなか近い距離で見た。そこでわたしは嶺亜ちゃんのお顔を「かっこいい」と思ってしまったのだ。これまでも何度かかっこいいと思ったことはあった、しかしそれは中村嶺亜全体としての話で顔の話ではない。嶺亜ちゃんのお顔があんなにかっこいいなんて聞いてない。白い。美しすぎる。鼻がきれいすぎる。ここでわたしは初めて嶺亜ちゃんのことを男性として意識した。とは言え、かわいい嶺亜ちゃんも健在でもうわたしはすっかり虜だ。


そうしてわたしの担当は櫻井翔オンリーから櫻井翔中島健人中村嶺亜の三人となったが変わらず櫻井くんのことは好きだったし、少し時期は戻るが、受験生だったから遠征はするつもりなかったけど2014年冬のデジタリアンにも応募した。でも、持ってる名義、友達、親戚の名義全てを東京で申し込んだのに結構な数あったのに外れた。もちろん当落の日も勉強していて、国語の得意な母に古典を教えてもらっている最中だった。自分が行けないとわかった時、これほどかと思うほど泣いた。泣きすぎて勉強が進まなかった。受験生でただでさえ切羽詰まってつらいんだから数時間くらいコンサート行かせてくれてもいいじゃんって、なんでこんなにいじわるなのってつらいのにさらにつらいの重ねないでよって声が出なくなるほど泣いた。ジャニーズ関係であんなに泣くことそうそうないなと思う。嵐に会えないってこんなにつらいんだって、あの時のつらさは決して忘れない。


掛け持ちになって、嵐で満たされない部分はSexy Zoneが、ジュニアが埋めてくれるだろうと思っていた。でも違った。嵐への気持ちは嵐でしか埋められないし、Sexy Zoneへの気持ちはSexy Zoneでしか埋められない。掛け持ちになったからって一方への気持ちが軽くなるなんてことは全くなかった。だからSexy Zoneについての新しいことをどんどん知っていっても、ジュニアの名前をどんどん覚えていっても櫻井くんに会いたい気持ちは全く消えなくてつらかった。掛け持ちになるということはわたしにとっては100が50、50になるのではなくて100が増える、つまり100、100になるということなんだなと知った。



こんなふうに掛け持ちになったわたしだが、健人くん、嶺亜ちゃんに堕ちる直前にわたしは嵐担の友人と「掛け持ちって全然理解はできるんだけどわたしは絶対にならないと思う」という話をしていた。その決意虚しく直後に二人に堕ちる。笑うしかない。ジャニーズは何があるかわからない。担当は三人でとどまってはいるものの担当ではないけど好きな人が増えていき、必然的に現場数が増えていきつつある。去年までは平均して年に3回くらいだったと思うが今年は既に参戦済みのもの、参戦はまだだかチケット確保済みのものを入れて16回もの現場が決定している。さらに現在は少年たち、えび座の当落待ち、嵐のツアーも入ってくる。恐ろしい。去年までの自分からは考えられない。もう1ヶ月に1現場はないと耐えられない体になってしまった気がする。そんな今は今までのジャニヲタ人生の中で最も楽しい。いろんな人から幸せがもらえて本当にジャニーズには感謝している。そんなことを感じながらまた今日も振込用紙を書く。

嵐BLAST in Hawaiiを見て

嵐BLAST in Hawaiiを見た。見終わった後うまい言葉が見つからずただ最高だと言うことしかできなかった。



オープニング、ただの空き地だった場所がコンサート会場になるまでの映像が流れるとても素敵な映像だと思った。



そんな中コンサートが始まる。ヘリで登場しスクリーンに映されながらファンのもとに向かってくる5人はとってもキラキラしていて、ヘリを降り立ち堂々と歩く5人は本当にかっこ良くて好きで好きでたまらなくなる。自分が紹介されサングラスを少しおろしてかわいいきゅるんおめめで覗く櫻井くんはわたしの大好きなアイドルそのものだった。潤はこちらに手を差し出してくれる。この潤の仕草がとても好きだ。



そして階段を登って私達の前に現れる5人。流れるA・RA・SHI。踊りだす5人の顔がほんとうに幸せそうで、見ているこっちまで幸せになる。櫻井くんのラップはこれまで以上に気合が入っているような気がして、ハワイへの強い想いを感じる。間奏で5人で輪になって踊っている時の櫻井くんの表情は今まで見た彼の表情の中で一番好きだと言っても過言ではないほど輝いていた。



ピカンチからピカンチダブルまでの流れがとても好きだ。踊りながら少し苦しそうな顔をしてメンバー同士で笑い合っている姿を見るとすごく微笑ましい気持ちになった。ピカンチダブルは嵐ファンになった当初からずっと一番好きな曲だ。今、嵐の現場にいつも一緒に行く友人は中学生の時に同じようにこの曲が一番好きだと言うことをきっかけに仲良くなったし、わたしの中でこの曲は特別なのだ。



もう一曲特別な曲がある。この後に歌うLove so sweetだ。この曲はわたしが嵐を好きになったきっかけの曲だ。この曲をMステで歌っている姿を見て櫻井翔に一目惚れしたのだ。当時小学生だったけれどあの時の「この人かっこいい!」という衝撃を受けたことはつい最近のことのようだがもう8年前になる。そんな曲をあんなにも綺麗な夕日の中で踊っている嵐を見て改めて櫻井翔を好きになったあの日を思い出していた。また、バックのモニターに映し出された映像を見て初めて国立で行ったコンサートに参戦していた日のことも同時に思い出していた。



MonsterからPARADOXの流れは嵐はまだまだ踊れるぞ、かっこいいぞと言われているようだった。雨の中のPARADOXは最強だ。ただ降りすぎだ。



「僕達は仲がいいと言われることが少なくないけどそうしていないと、寄り添い合っていないと立っていられなかったのかもしれない」という櫻井くんの挨拶はとても胸にくるものがあった。わたしは嵐は「仲がいい」というよりむしろ簡単に言うと「仕事の相性が非常に良い」と思っている。1人1人の仕事の相性が良いからどの組み合わせでも面白いしトークもうまく面白くできるのだと思う。それが「仲がいい」と言われる原因になっているのではないか。だから仕事がうまくいかない時もみんなで寄り添っていることができた、そう思う。話がそれた。




挨拶が終わった後の曲がずるい。seasonだ。わたしはこの曲を聴くたび母に「この曲は誰が聴いてもいい曲」と言い続けている。seasonがかかった時、5人の顔がそれぞれ映る。5人とも晴れ晴れとしたとてもいい表情をしていた。seasonは卒業ソングだがこのハワイの地で歌うにふさわしい歌詞がいくつも見つかった。

「あの頃憧れてた未来を歩き出した」

2002年頃一晩中語り合っていたあの頃憧れていた未来は今のような未来なのかはわたしにはわからないが少なくともその未来を歩き出している、近づいていることは確かなのだと思う。

「わからなかったこと少しわかりはじめた気がする」

櫻井くんは1年前ほどの雑誌での17歳の頃の自分への手紙の中でこう書いていた。「これで本当に良かったのかは分かってはいません。でもまあ…悪くはないかなってところまでは来られたよ」
17歳の櫻井くんにはわからなかった嵐でいることの意義。今は少しわかってきたような気がしている。ハワイを経て「悪くはないかな」というところからどのくらい成長してくれているのかな。偶然にもここは櫻井くんのパートだ。


「今、瞳の奥に輝く夢はいつでもいつまでも」

相葉くんが言った「トップになろうね」という夢。この夢はまだ叶っていないと思う。世間的には叶ったというような感じが漂うけれどきっと本人達は思ってなくてまだまだ上を前を目指している。いつでもいつまでも夢を忘れないで追い続けているのだと思う。




櫻井くんは私たちの前でほとんど泣いたことがない。わたしが知っている限りではデビューコンサートと24時間テレビの時だけだ。しかしこの日の彼は違った。わたしはあんなに目にいっぱいの涙をためて、それでも涙がこぼれないように耐えている彼の顔今まで見たことがなかった。こんなタイミングでそんな顔をするなんてずるい。好きが溢れてとまらない。わたしの涙もとまらない。


最後にA・RA・SHIのサビのみを歌って嵐はまた次の旅へ向かうべくヘリに乗ってファンをあとにした。
16年目からの嵐はどうなっていくのだろうか、どんな楽しいことをしてくれるのだろうか、そんな期待が膨らんだ。


このブルーレイを見てわたしはやっと「ハワイでコンサートをやって良かった」と思うことができた気がする。初めは何故日本のファンを十分に満足させるほど動員することができていないのに海外に行くんだと不満しかなかった。周りの同年代のファン達も次々に不満の声を漏らしていた。セットリストを見てもレポをどんなに見てもわからなかった。しかし翌日のワイドショーを見て初めて心が動いた。櫻井くんがあそこまで楽しそうに踊る姿は見たことなくてハワイにはそんな力があるのかとすごく驚いた。バラエティでのハワイ特番はとても面白かったが、やはりどこかでまだハワイを受け入れられずにいた。NHKの特番を見て少し変わった。何故か途中から涙が止まらずずっと泣いていた。このハワイでのコンサートにはきっとすごく強い想いがあるんだと思った。しかしデビュー当時のハワイ会見を見ていたわけでもないわたしはその想いをしっかり理解することはできなかった。


そんな中やっと先日、私たちのもとにハワイの映像が届いた。ワイドショーで見たような櫻井くんの笑顔がたくさん映る
。全て見終わってわたしは気づいた。ハワイ公演というのは5人にとって「当時の自分にとってのハワイとの決別」なのだと。「やめたい」という思いで来たハワイ、「退院したばかりだから自分だけ踊れず踊る4人を見ていた」という悔しい思いが詰まったハワイがこのコンサートを機に最高の思い出の地となる。過去の自分にとってのハワイとケリをつけ、そして新たな一歩を踏み出すのだ。きっとそんな想いをもっているのではないか。わたしは嵐ではないし本当の気持ちはわからないがわたしが考えられるハワイはここまでだ。何にしろ、最後には彼らのあそこまで弾けた笑顔を見られるならもう何でもいいとすら思った。これからもあれ以上の笑顔が見られるようわたしは嵐を櫻井翔をきっとずっと、愛していく。